共存・共生関係から敵対関係になる負のスパイラル

共存・共生関係から敵対関係になる負のスパイラル
先日の木暮人連続セミナー。美杉の三浦妃己郎さんの森と鹿と犬のお話でした。
三浦さんのが、鹿を意識したのは、
おばあちゃんが大切に育てていた畑の小豆を、鹿が全て食べつくしてしまった時からだそうです。
おばあちゃんのたったひとつの「生きがい」を鹿が奪ってしまったその時から、鹿をなんとかしなくては。
と思ったのです。
かつてオオカミがいた時代、そしてオオカミがいなくなり、その後のまだ野犬がいた時代。
猪や鹿、猿たちは里には姿を現しませんでした。
三浦さんの美杉の森にも、つい最近まで鹿はめったに姿を現さなかったそうです。
鹿等の数が劇的に増えたのは、動物愛護法で、野犬が取り締まられた時が契機といわれます。
野犬がオオカミの代わりとなり、鹿達を追う事で、鹿は強いストレスをうけ犬のいる里に近づかなくなる。
あるいは弱いものが淘汰され、そして出産の数がコントロールされる。
というバランスだったそうです。
野生動物たちの生態系・自然のバランスが保たれていた状態だったのです。
鹿は木の皮が大好物ですが、その食害による経済的損失は何十年もかかって育てた木の価値が一瞬でなくなってしまう為、林業家にとっては致命的な打撃でもあります。
効率的ではある山の木の全伐(皆伐)は、山の地盤の保全や保水機能を失い、更に鹿たちの食害により、山はその機能・命を失いつつあります。
ある時期までは、人と動物たち、自然は共存・共生関係であったのが、ある事・ある時を契機に、敵対関係になってしまいました。
この敵対関係の先に、明るい未来はあるのでしょうか?
かつては、「害獣」等と呼ばれることはなかった猪や鹿等の野生動物たちは、今は「害」獣。と呼ばれるようになってしまいました。
人にとって都合が悪いものは、「害」をつけ、駆除。死滅させる。
その先には、何があるのでしょうか。
三浦さんは、鹿たちを里に近づけないことを第一義に、鹿追犬という「解」を選択しました。
動物たちは、人間にできないことを沢山してくれます。
みつばちだって、人間には決してできないことをしてくれるからこそ、私たちは、野菜や果実という糧を頂くことができます。
生きていくことは、命を頂くこと。たとえ、それが植物であろうと、すべての命を屠り、食べて自身、そして子供たちの命を繋ぐのです。
食べて、うんこ(糞)をして、それが土になり、次の命に繋がる。
生きて、死んで、それが土になり、次の命に繋がる。
その繰り返しの時間を、できるだけ、気持ちよく、楽しく、仲良く、そして感謝の気持ちで、やっていきたい。と
三浦さん、貴重な体験を話してくれてありがとうございました。 
                       上利智子